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自分で自分の荷物は持つ
2024-08-03

Bad B*tch美学のAIさんパートの歌詞にあるフレーズ。 自分で自分の荷物は持つ 気分であなたの荷物も持つ 人は助け合ってこそ長く持つ ぼくにとって「自分のことを自分でやる」ってのはけっこう大事なことだと感じる。セルフ・ケアの意味合いがあるのかな。自分のことを自分でやれていると「よしよし」と思って心が落ち着くのよね。自尊心や自己効力感と結びついているかもしれない。 ぼくが6歳になるころには妹と

自分の中の自己肯定の地盤はどのようにしてつくられたのか
2023-02-17

TAKRAM RADIOでの渡邉康太郎さんと坂田ミギーさんの会話を聴いて思ったことをメモする。 「助ける人 と 助けられる人」という単方向的な関係ではなくて、関わり合う中で「お互いに助かっている」ということが人間社会においてよくあると思う。 ところで、ぼくは自分の中にたしかな「自己肯定」があると捉えている。「自己肯定感」と呼ばれるふわっとしたものというよりは、明確な意思とともにある「自己肯定」とい

そのときそのときで重視していたもの
2022-09-27

年代は適当。そんなに厳密には区切れないし、覚えていないこともたくさんあるので。 | | | | --- | --- | | 00〜05歳 | ??? | | 06〜12歳 | 親、妹、弟、友人、図画工作が好きだった覚えはある | | 13〜15歳 | 友人、周囲と違う選択をしたいと思っていた気がする… | | 16〜20歳 | 友人、ファッション、お洋服、アクセサリ、ポップカルチャー(音楽、雑

好奇心を入り口にして自分の内面に迫っていく
2021-09-11

妻と雑談している中で、自分は「妻に母親的な役割を求めたくない」と思っていることがわかった。 いつからこの考えを持っているかはわからないけれど、いや、考えと呼ぶにはずいぶん無意識的だったから感覚とでも呼ぶのがいいかな、ともかく気付いたときにはこの感覚があった。母親は母親で妻は妻なんだから、子どものころのぼくが母親に期待していたような役割を妻に押し付けるのはなにか違うような気がしている。 で、妻と話し

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In 2026-06-28 Sun Read full day →

京セラドームのあたりに行った。母親が山田涼介さんのライブに参加していて、それの終わりに合わせて迎えに行ったのであった。今回の母親の関西滞在における主目的はこのライブに参加すること。

母親の滞在先のホテルから京セラドームまではけっこうな距離があって移動がそこそこ大変なので、ぼくがくるみで迎えに行って楽をさせてあげよう、と思って予定を組んでいた。

しかし、京セラドームに直で迎えに行くと混雑に巻き込まれてやばそうだったので、JRで駅ひとつ移動した先にあたる弁天町駅のところの大阪ベイタワーの駐車場にくるみを停めて、母親には一駅分だけ移動してもらうことにした。

ライブ参加直後なんて話したいことがいっぱいあるだろうから、聞き役にもなれるといいな〜って。

思えば、母親とふたりで食事するなんていつぶりだろうか…?帰省するときはだいたいみんなで集まるときだし、今回のように母親が移動するときも「じゃあ、みんなで集まろう」ってなるから、なかなかふたりで食べたり話したりする機会ってないよね。

これからもみんなでごはんを食べる機会は少なくないだろうけれど、母親とふたりの機会となると、今回が最後になったとしてもおかしくないか。そんなことを感じながらおそばをすすった。

食事を終えて、コンビニに寄って適当にお買い物して、くるみで母親の滞在先のホテルまで送り届ける。ぼくが運転している間にも後部座席からいろんなことを話してくれた。

母親といっしょに暮らしている弟1に日常のあれこれは任せているし、母親の精神的な相談先は妹だし、ふだん自分が担っていることはぜんぜんなくて。たまにこうして会えたときに、なにかしらいっしょに時間を過ごすくらいのことをやっている。

どうにも自分には「人の役に立ちたい」という欲求は強めにあるようで、今日、母親の乗せた車を運転できたことはうれしかった。

In 2026-06-27 Sat Read full day →

「◯◯を持参」の「をじさん」の部分というか、音として「ojisan」が含まれているということに気が付いた。だからなに?

母親・妹・弟1・弟2といっしょに撮った写真を見ると、自分がいちばん「おばさん」っぽいよな〜と思う。その旨を妻に伝えると「そうだよね」と同意を得られる。

In 2026-06-26 Fri Read full day →

起床して身支度を整えて、今日も母親・妹・弟1・弟2たちのところに向かう。ちょっとお買い物をしたい、とのことだったので梅田に連れていった。ランチはBOTANI:CURRYで。近年の大阪にはスパイスカレー文化もあるので、これも大阪っぽい食べ物ってことでね。

みんなそれぞれ行きたい場所がばらばらってことで、ランチをみんなで食べて一息ついたあとは「散!」となった。妹と弟2は今日が帰る日なので「またね」とここでお別れ。また元気に集まろう。

弟2にはおこづかいを渡しておいた。ぼくが14歳のときに登場した弟2。「自分が30歳になったとき、彼が16歳か〜」と20歳頃からそういう認識があって、いっぱい稼げる30歳になって、たまに帰省したらおこづかいをいっぱいあげる、そういう大人になりたいとなんとなく思っていたのだった。

来年には弟2の方が30歳になる(びっくり!)ので「おこづかい、これで最後かな〜」と言いながら渡した。受け取ってくれてありがとう。なりたい兄像を演じるぼくに付き合ってくれてありがとう。

In 2026-06-26 Fri Read full day →

夜、妹からも弟2からも帰宅の報告があり、無事に帰れてよかったね〜と安堵する。

In 2026-06-25 Thu Read full day →

そんで、京都に着いた。ここで妹も合流する。母親、妹、弟1、弟2とぼくの5人で京都を散策する。油小路通を歩いた。

二条城の二の丸御殿の中をぐるっと一通り見てまわった。おれたちが共通して有している「お城での暮らし」のイメージの元ネタは『志村けんのバカ殿様』しかないので「バカ殿で見たことある!」くらいしか反応のパターンがなくて貧相だった。

父親がいれば、きっと大河ドラマで仕入れた知識とリンクして楽しめただろうに。さっさと目を覚ましなさいよ。大政奉還に絡む場所だよ、遊びにきたかっただろうに。

自動販売機には貨幣のガイダンスがあっておもしろかった。ドンジャラの役の説明書みたいだ。

徳川家康が築いたお城なんだねえ。そして、大規模な拡張が行われてから今年でちょうど400年だ。400年に渡ってメンテナンスされていてすごい。

In 2026-06-14 Sun Read full day →

妹から着信があって通話して、それから母親と通話して、弟1と通話して、って感じでおもしろかった。ふだんの自分のコミュニケーションのスタイルだと「関係者を一箇所に集めて、まとめてやりとりする」を採りがちなので、こうやって個別に話して物事を進めるのはめずらしいので、新鮮さがあった。自分には、やりとりする相手の毒気を抜いちゃう性質があるような気がする(要検証)んだけど、家族相手にもそれが出ているように感じて「そうなのか〜」と思った。具体的なことを書いていないので、読んでも意味がわからんよね。自分用メモです。

In 2026-02-27 Fri Read full day →

弟1から着信があり、数十分間ほど雑談した。今年、家族たちが関西に遊びにくるかもしれなくて、その件で相談してきてくれた。弟1、きのうは妹と話したらしく、今夜には弟2と話すらしい。旅行の計画を立てるためのハブになってくれている。すごい。ぼくはブロードキャスト型のやりとりが基本になっているので、ひとりひとりと個別に話す行動を選ぶことが極めて少ないよなあ…。関係者みんなが揃ったテキストチャットか、あるいは全員の予定を合わせたビデオチャットか、全体でやりとりすることを好む傾向が強い。弟1には感謝している。母親も助かっていることだろう。

In 2025-10-06 Mon Read full day →

さて、小難しいことを考えたり考えなかったりしながら母親・おばあちゃん・妹・弟1・父親に会いに行く日。おばあちゃんは、母親の母親ね。弟1が自家用車を走らせて母親・おばあちゃん・妹というガールズを束ねてくれて、トリトンで待ち合わせすることになっていた。平日だというのにトリトンの混みっぷりはすごい。受付番号31番のわしらは1時間くらい待ったかな〜。

レンタカーの運転席の日除けの裏にミラーがついていることに気付いて記念撮影した。

ボックス席に6人で着席して、勢いよくお寿司をやっていきました。ヒンナヒンナ。きのうの夜ごはんもお寿司だったけれどそんなことは気にならない。北海道滞在中にいっぱい食べたいよ。

In 2025-10-06 Mon Read full day →

父親のお見舞いに病院へ行く。いつもは母親と弟1が行ってくれていて、今回は妹とぼくが本州から帰ってきたので、そこにおばあちゃんも巻き込んで会いに行くことにした。にぎやかなお見舞い団は病院の中でもちょっと浮いている。

まずは妹とおばあちゃんのペアが病室に行く。おばあちゃんは「早く起きなさい」と父親のことを叱ってくれたみたい。ぼくは「起きたい気持ちになるまで、ゆっくり休んでね〜」と思っているので、そんな言葉は自分からは出てこないから、おもしろく感じる。意識不明者への声かけに唯一の正解があるわけもなくて、いろんな人が、それぞれの考えで声をかけるのがいいと思う。自分にはできないような声かけをおばあちゃんがやってくれてうれしかった。

続いて妻とぼくが行く。大阪に引っ越したよ、松本は楽しかったね、元気だったら万博に遊びにきたかったんじゃないの、今から目を覚ましても万博には間に合わないねえ、目が覚めて動けるようになったら、そのときにぼくらが住んでいる地域に遊びにおいでよ、などなど。思い付く限りの声かけをする。左腕・左手がよく動くようになっていて、左手を握りにいくとね、握り返してくれるのよね。赤ちゃんみたい。ホモ・サピエンスには手を握り返そうとする習性があるんかな。おもしろいね。

最後に弟1と母親が行って、わりとすぐに戻ってくる。「いつもきているからね」と。ありがとう。

In 2025-10-06 Mon Read full day →

そのあとは、今は弟1と母親が暮らしている、ぼくにとってのいわゆる「実家」に行く。ぼくが大学生・大学院生のときに住んでいた家ね。妹は友だちの家に泊まりにいくというので弟1が車で送っていった。ぼくの運転するレンタカーで、妻と母親とおばあちゃんを運ぶ。

またしばらく談笑。今は91歳になったおばあちゃんは88歳まで働いていたような人で、とっても元気。だいぶ耳が遠くなってきていることもあってところどころ話が噛み合わなかったりするのだけれど、はっきりしゃべるし、ぼくをずっと幼児扱いするくらいに気持ちも強いし、頼もしい感じ。話がズレているときに妹・弟1・ぼくらは「うんうん、そっかそっか」という感じで聴くのだけれど、母親は「ちがう、今はその話はしていない」とばっさり切る。それぞれである。

母親が「年相応の格好みたいなものがわからん」と言っていて、いいじゃん、と思った。ステレオタイプに押し込めようとしてくる社会の雰囲気に対してぼくは「うるせーー」と思っていて、母親ゆずりの部分があるのかもしれないね。本人が着たい服を着てごきげんに過ごすのがいちばんいいと思っているよ。

In 2025-10-06 Mon Read full day →

妹を送り届けた弟1も実家に戻ってきてみんなで合流できて、夜ごはんを食べにいく。おばあちゃんのリクエストを聞きつつ実家から行きやすい場所ってことで風月をチョイスした。この風月ってのは北海道に展開しているお好み焼き・焼きそばのチェーンなんだねえ。

北海道のお好み焼・焼そば 風月 https://fugetsu-sapporo.co.jp/

弟1に「一人前、食べる?」と質問されたおばあちゃんは「そんなに食べるわけない、食べられないよ」と返していたが、いちばん長くメニューを見ていたのはおばあちゃんだった。自分が食べる分じゃなくて孫たちが食べる分を考えてくれているっぽい。「いっぱい頼んで、みんなで分けて食べなさい」とそういうテンション。

風月の駐車場で弟1・母親・おばあちゃんとお別れ。また会いにくるぜ。妻とぼくは宿泊先のホテルに戻っていく。

In 2025-04-13 Sun Read full day →

ここ数日、ひとりでくるみを運転しているときなんかに、ふと「自分がいなくなったとして、妻は元気にやっていけるだろうか?」と考えたりする。直近で高速道路を運転する機会もあって、高速で走行するくるみの運転席に座る人間として、ぜったいに事故を起こしたくないという気持ちを強く持っていた。ぼくからすると、事故で妻が絶命して自分だけが生き残るってのが厳しいパターン。想像しただけで呼吸が浅くなる。

自分が絶命して妻だけが生き残るパターンを想像すると、最初に思うのは「心配だなあ」になる。今回のように体調を崩したときとか、なにかに困ったときとか、ぼくが近くにいれば力になれることもあるけれど、いなくなっちゃったらどうなるんだろう。助けてくれる友人たちはいるだろうけれど…そもそもどこに住むのかね、とかとか。心配すぎて、スッと成仏できなくて浮遊霊になっちゃうかもしれない。

こういうことを考えるとき、妹・弟のことを思い出す。小中学生のころのぼくは妹・弟によって兄という役割を与えてもらって、それによって自己効力感を高められていただろうと捉えている。誰かに頼ってもらえること、誰かの力になれていると感じられること。こういう実感のおかげで、なんとか日々をやっていけているのではないか。今は妻がぼくに役割を与えてくれているように思う。いろいろとたいへんなときでも、それがぼくの心の支えになっているのだと思う。

In 2024-12-17 Tue Read full day →

いがじゅんランチのおそらく146回目くらい。子が両親を呼ぶときのバリエーションはいろいろあって、平成初期と今を比べると「パパ」「ママ」がシェアを伸ばしている気がするよね、という話をした。igaiga555が「短いのは強い」と言っていて、それはそうと思った。「おとうさん」より「パパ」や「ダダ」の方が言いやすいよね。「ちち」「はは」も短いか。『SPY×FAMILY』のアーニャじゃん。

幼少期のぼくは両親のことを「おとうさん・おかあさん」と呼んでいて、中学生のときだったかな、途中から「とうさん・かあさん」に移行したはず。最近は「名前 + さん」で呼ぶことも増えてきた。妹・弟と雑談する中で両親について言及するときは「名前」(呼び捨て)なこともしばしば。だんだんと「親」から「友人」っぽい位置付けに変わってきたのかも。

In 2024-09-06 Fri Read full day →

もともと予定していたわけではなかったが、朝に用事があってくるみで移動して、ちょっとした空き時間が発生したので安曇野のコメダ珈琲店に突入してモーニングをやった。ラッキー・モーニング、満足度が高い。

あちこちで見かける稲刈りの様子。

スワンガーデン安曇野のあたりをうろちょろ〜。

『HUNTER×HUNTER』最新38巻じゃん。たしかに「新連載!」って感じの表紙だ。

『株式会社マジルミエ』『ふつうの軽音部』『一勝千金』の現物(?)を目の当たりにして「こういう大きさの本だったなあ」と思った。電子書籍で読んでいると、本の「大きさ」のような物理量に対して鈍感になる。

ここの店員さんは栗まんじゅうが好きなのか?扱いが大きい。

あの象を模したジョウロ、今では「メカ・エレファント」みたいなやつもいるんです??

燕黒でつけ麺を食べた。これが今日のランチ。夜はサラダ等の軽いもので済ますしかない。

昼過ぎにコンビニに行ったら、買い物カゴいっぱいにアルコールの缶を入れて歩いている人がいて「これから宅飲みかな〜」とか思っていたら、どうもお店の働きサイドの人のようだった。冷蔵庫に缶を並べ始めたから「あ、そういう」となった。

夜、ごはんを食べ終わったあたりで妹から連絡があって通話した。新千歳空港にいて、飛行機の出発までけっこう時間があるとのことで声をかけてくれた。きのう父親の入院する病院まで面会に行ってくれて、今日は母方の祖母に会ってきたとのこと。父親や祖母の状況を共有してもらう。正直、ぼくは父親のことを考えるだけでもせいいっぱいで、祖母にまで気が回っていなかったなあ。「兄ちゃんが会いに行ったらぜったいによろこぶから、ぜひ」と。今年中に札幌行きの予定を立てて父親と祖母に会ってこようと思った。

そのあと妻と信州スカイパークまで出かけて、空港エリアをお散歩しながらいろんな話をして帰ってきた。雪が降り始める前に札幌に行きたいね。妻もぼくも札幌のことが好きなので、話していると気分も上がってくる。

In 2024-09-05 Thu Read full day →

ちょっとずつPixel 9 Proで撮った写真が入ってくるよ。Pixel 8 Proからの移行を進めていくからね。

妹がようやく父親の面会に行けて本当によかった。とってもうれしかった。妹が父親といっしょに写したセルフィーを共有してくれて、ちょっと泣いた。なんか、意識のない状態の父親を写真に撮ることを無意識に避けていたかもしれない、と気付かされる。笑顔で写真を撮って共有してくれる妹の明るさに、ぼくは救われていると思う。そう思ったら泣けた。

それから、5月の家族旅行のときに松本城の前でみんなで撮った写真を、弟1が病室に飾ってきてくれたとのことだった。これまた泣いた。プリントして、写真立てに入れて、持っていってくれたんだねえ。あなたの娘と息子がこんなにすてきなんだから、早く目を覚ましてお礼を言った方がいいよ。たのむぜ。

In 2024-09-02 Mon Read full day →

夜、母親から電話がかかってきて数十分ほど通話した。父親の意識が戻らないまま1ヶ月以上が経って、どうしたもんかねえ。とにかく今は「様子見」のモードなのであらゆる判断を保留にしているものの、実家をどうしようか、とか、片付けは順調かい?とか、あれこれと話す。今週、妹が札幌に行く予定があり、ようやく妹も父親に会えるからよかったな〜。

ぼくが購入してしばらく弟2が使っていたパソコンが実家にあり、母親は「捨て方がわからない」と言うので、わからなければうちにまるごと送ってくれ〜と伝えておいた。こっちで適当に処理するぜ。

In 2024-08-17 Sat Read full day →

夜、いとこから着信があった。帯広方面の人々の直近の様子を教えてもらう。じゅん・まみは元気にしているよ、と伝えておいた。落ち着いたタイミングでいっしょに旅行でも行こうよ的な話があって、うれしいお誘いだ。このいとこはぼくの父親の姉の息子で、学年がぼくのひとつ上で、小学生時代の年末年始なんかに親戚で集まると、よく面倒を見てくれていた。お兄ちゃんみたいな存在。

思い返してみると、30代の10年間はいとことはほとんど連絡を取っていなかったよなあ。それが、直近20日間ほどでたくさん話す機会があって、30代の10年間で話した合計時間をこえるくらい話しているだろう。幸い、父親の姉 (ぼくから見ておばちゃん、このいとこの母親) は元気にしていて、今度いっしょに旅行に行けるかもしれない。おばちゃんの歳まで生きていると、まわりの人々も少しずつ少しずつ亡くなって、いま元気にしている人々で身を寄せ合ってやっていきましょうね、ってことになるんだなあ。ぼくも、おばちゃんの人生における、よき遊び相手のひとりになりたい。

そんなことを考えながらお布団に入って就寝していった。ぼくが眠りに落ちたあと、妹からも着信があった。明日の朝にでも確認しよう。すやすや。

In 2024-08-14 Wed Read full day →

今日は体調があんまりよくなかったのかな、なにかに着手しようとしても気分が乗らず、グズグズしている時間帯があった。メンタルの調子もよくないのかも、と思ってそんな気分を純朴声活に吹き込んでおいた。

作業を進める手が乗ってきたのが21:30くらいという、なかなかむつかしいコンディション。やりたい作業を少しだけ進めることができた。

弟1と通話して、いとこと通話して、そのあと妹からも着信があって通話して、という日だった。弟1には「母親のこと、見ておいてくれ〜」と、いとこには「おばちゃんのこと、見ておいてね〜」と伝える。ひとりひとりが少しでも穏やかに過ごせますように。

しかし、ここにきて家系や親族について初耳の情報を次々に知らされて「えっ、そうなの!?」となっている。ドキュメントにまとまっているわけでもなく、たまたま話の流れで聞かされるばっかりで、全容把握がむつかしすぎる。どうしたらいいの〜。

In 2024-08-04 Sun Read full day →

父親のケガのことがあり、母親にApple Watch SEをプレゼントすることにした。転倒や衝突の検知機能をうまく活用できるといいな。もちろん、活用する日なんてこない方がよいのだけれど。

Apple Watch SEのこともあって母親と1時間近く通話していた。モバイル端末が存在しなかった時代は、誰かが倒れたりしてもすぐには連絡がつかない人もいたりしてたいへんだった、という昔話などで盛り上がる。それなりに元気そうでなにより。妹も弟1も母親のことをけっこう心配しているからね、声をかけあってやっていこう。

In 2024-07-29 Mon Read full day →

朝、札幌市内で目覚める。時間に余裕があったのでMORIHICO.でコーヒーとパンをやっておいた。

聞くところによると、昨晩に妹から妻に個別のLINEの連絡があったようだ。「兄はまわりの人のことを心配してくれているが、兄のことも心配なので、ケアしてやってくれ」的なことを妻に伝えてくれたみたい。うちの妹はこういう声かけをしっかりできる人で、素敵だと思う。

きのうの夜に集まったメンツでまた集まってランチに行こう、ってことで7人でRAMAIへ。ぼくより札幌に詳しい人たちがお店のチョイスなどをやってくれるので助かる。ぼくはRAMAIの利用は初だな。スープカレー、とてもおいしかった。

「テセウスの船」みたいな意味で「ギャルの曽根」の話をした。すでにギャルでも曽根でもなくなってきているギャル曽根という概念のことを考える。

病院に行くまで、まだ時間の余裕がある。大人7人で時間を持て余す。スープカレーを食べてみんな満腹だし、カフェに行ってお茶する感じでもないか。ってことで、フードコードのあるイオンにでも行って過ごそうってことになった。

上階にある駐車場が混んでいて、なかなか入っていけない。登り坂の途中で待たされるので「マニュアル車だったら、坂道発進が面倒だねえ」という話をする。うちの妻は坂道発進のことを知らなかったのでみんなで説明した。そうこうしていたら、もう1台の車から電話がかかってきて「混んでるね〜」「もうちょっと待つことになりそうだね」と話す。そしたら電話の向こうから「坂道発進が〜」と聞こえてきて、こちらの車内のみんなで笑った。

北海道内のイオン、さらっと六花亭が入っていたりするのですごい。

さてさて、本日のメインイベントである、病院での父親との面会。「週に2人まで」という厳しめの制限があるらしく、今週のその枠はぼくたち夫婦に割り当ててもらうことになった。「わざわざ松本からきてくれているから」とのことで。先に母親が会いに行った方がいいんじゃないの、などの話はきのうの時点で済んでいる。母親は「病院まで救急車でいっしょにきたし、来週にもこれるから」と言う。

きのう、手術が終わった時点で「命に別状はない」と説明を受けていた。とはいえHCUに入っている状態で、会話などはできない状態。HCU (高度治療室) ってのはICU (集中治療室) が必要ってほどじゃない状況の人がお世話になる場所、という理解。「ICU→HCU→ 通常の病室」って感じで、退院に向かう段階があるみたい。

ぼくはHCUと呼ばれる場所に入るのも人生で初めてだし、緊張しながらそのときを迎える。

ベッドに横たわっている父親は、ぼくが想像していたよりは元気そうだったな〜。元気というのは変な話で、こちらから一方的に話しかけるしかない状況なので、今後どうなっていくのかぜんぜんわからないのだけれど。でもぼくは「元気そう」と感じたのだった。体は一生懸命に呼吸を続けていて、顔色も悪くないし、外傷がほとんどないから「元気そう」と感じたのかな。面会が許されているのは15分間のみ。手で体に触れてみたり、トントンとリズムを送ってみたり、いっぱい話しかけたりした。ぼく以上に妻がたくさん話しかけてくれて本当にありがたかった。

きのう、松本から飛んできたよ。今日はじゅんとまみが会いにきたよ。なるべく病院の近くに、と思ってすぐそこのホテルに泊まったよ。あっちには母さんも弟たちもいるよ。帯広からおばちゃんたちもきているよ。妹たちもすごく心配しているよ。痛くない?苦しくない? と、聞こえているかはわからないとしても、なるべくこちらの状況を伝えようと努めた。

途中、口のあたりと腹筋のあたりが少し動いて、なにか話そうとしてくれている!?となった。意識はあるけど体は思うように動かせない、という金縛りみたいなパターンもあるのかなあ。わずかに開いている左目は、こっちを見てくれているようにも感じたんだよな。

あっという間に15分が経過してしまい、係の人がきて「そろそろ…」と告げる。妻が「やだ!」と食い下がる。もし父親の意識はあってぼくらの姿は見えていて声も聞こえているとして。次の面会の予約を入れられるのが来週なのがつらすぎる。ひとりで1週間もがんばらなきゃいけないとしたらつらすぎるでしょ。それよりは「ずっと眠くてウトウトしている」みたいな状態だったらいいな。そんな願いばかりが浮かんでくる。

結局17分間くらいはあの場にいたのかな。HCUを出て、待っている家族と合流する。妻がワーッとしゃべってみんなへの報告をやってくれた。そのあとお医者さんからもちょっとした説明があって、きのうに比べて呼吸も安定してきている?とかなんとかで、ポジティブな情報が増えた日だった。ありがたい。

病院をあとにして、とりあえず解散。ぼくと妻は、帯広のおばちゃんといとこの車に乗せてもらって宿泊先のホテルまで移動した。母親と弟1と弟2は、また別の場所へと向かっていった。

きのうの午前に連絡を受けてから「わからなくて不安!」という感じだったけれど、面会で父親と会ってきたことで「今はこういう状態」がわかって、自分が抱えていた不安の一部が解消されたようだった。がんばっているであろう父親に元気を渡すつもりで会いに行ったのに、むしろ父親がぼくらを元気にしてくれたんじゃないか、という感覚。不思議。

ホテルにチェックインしてM2 MacBook Air 2022をいじっていたが、疲れ果てて寝落ちしてしまう著者の様子。妻が撮影。

夜、札幌の街中で海鮮を食べた。きのうから気持ちが忙しくて疲れちゃったので「ひさしぶりに酒でも飲むか!」と日本酒を一合いただいた。とにかく、みんなの心が少しでも穏やかであってほしいなあ。祈るしかできない。

ホテルに戻ってのんびりと過ごしていたら、帯広に帰っていったいとこから着信があった。このいとこは学年がぼくのひとつ上で、幼少期からずっとぼくの面倒を見てくれている「兄」に近い存在。うちの父親からみると甥だね。どうやらぼくのことを心配してくれているようで、たくさんの言葉をくれた。ありがたい。うちの両親や親戚のみなさんが良好な関係を維持してきてくれたおかげで、こういうときにお互いを気にかけて行動できるんだなあ。すごいことだ。

そのあと、ぼくから妹に声をかけて通話した。ぼくはこっちにきて父親に会えたことで気持ちが前に進んだ感じがあるけどさ、そう思えば、まだ札幌にこれていない妹のことは心配だった。札幌で集まった7人は身を寄せ合ってケアの時間を持てたので、その輪に少しでも妹を巻き込んでいきたい。面会に行かせてもらったぼくらから妹に伝えられることはあるだろう。ぼくと妻と妹でおしゃべりしていて、途中から妹の夫さんも参加してくれて4人であれこれ話した。結局1時間くらいはしゃべっていたかな。穏やかな時間だった。

妹との通話を終えて、そのままベッドの上で過ごしてやがて眠りに落ちていった。

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