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TAKRAM RADIOでの渡邉康太郎さんと坂田ミギーさんの会話を聴いて思ったことをメモする。 「助ける人 と 助けられる人」という単方向的な関係ではなくて、関わり合う中で「お互いに助かっている」ということが人間社会においてよくあると思う。 ところで、ぼくは自分の中にたしかな「自己肯定」があると捉えている。「自己肯定感」と呼ばれるふわっとしたものというよりは、明確な意思とともにある「自己肯定」とい
年代は適当。そんなに厳密には区切れないし、覚えていないこともたくさんあるので。 | | | | --- | --- | | 00〜05歳 | ??? | | 06〜12歳 | 親、妹、弟、友人、図画工作が好きだった覚えはある | | 13〜15歳 | 友人、周囲と違う選択をしたいと思っていた気がする… | | 16〜20歳 | 友人、ファッション、お洋服、アクセサリ、ポップカルチャー(音楽、雑
妻と雑談している中で、自分は「妻に母親的な役割を求めたくない」と思っていることがわかった。 いつからこの考えを持っているかはわからないけれど、いや、考えと呼ぶにはずいぶん無意識的だったから感覚とでも呼ぶのがいいかな、ともかく気付いたときにはこの感覚があった。母親は母親で妻は妻なんだから、子どものころのぼくが母親に期待していたような役割を妻に押し付けるのはなにか違うような気がしている。 で、妻と話し
ひさしぶりにこうして夜の繁華街をひとりで歩くと、隣に妻がいないと客引きが声をかけまくってくるんだな〜と気付かされる。ハーパンでサンダルな、お買い物のためのトートバッグをさげた人でも声をかけるのだねぇ。 以前に弟がうちに遊びにきてくれたとき、近所に飲みに出かけたら客引きがわらわらと寄ってきてビビった、ということもあった。ふだんからよく歩いている道でも、mamipekoと歩いているときはぜんぜん声をか
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ここ数日、ひとりでくるみを運転しているときなんかに、ふと「自分がいなくなったとして、妻は元気にやっていけるだろうか?」と考えたりする。直近で高速道路を運転する機会もあって、高速で走行するくるみの運転席に座る人間として、ぜったいに事故を起こしたくないという気持ちを強く持っていた。ぼくからすると、事故で妻が絶命して自分だけが生き残るってのが厳しいパターン。想像しただけで呼吸が浅くなる。
自分が絶命して妻だけが生き残るパターンを想像すると、最初に思うのは「心配だなあ」になる。今回のように体調を崩したときとか、なにかに困ったときとか、ぼくが近くにいれば力になれることもあるけれど、いなくなっちゃったらどうなるんだろう。助けてくれる友人たちはいるだろうけれど…そもそもどこに住むのかね、とかとか。心配すぎて、スッと成仏できなくて浮遊霊になっちゃうかもしれない。
こういうことを考えるとき、妹・弟のことを思い出す。小中学生のころのぼくは妹・弟によって兄という役割を与えてもらって、それによって自己効力感を高められていただろうと捉えている。誰かに頼ってもらえること、誰かの力になれていると感じられること。こういう実感のおかげで、なんとか日々をやっていけているのではないか。今は妻がぼくに役割を与えてくれているように思う。いろいろとたいへんなときでも、それがぼくの心の支えになっているのだと思う。
いがじゅんランチのおそらく146回目くらい。子が両親を呼ぶときのバリエーションはいろいろあって、平成初期と今を比べると「パパ」「ママ」がシェアを伸ばしている気がするよね、という話をした。igaiga555が「短いのは強い」と言っていて、それはそうと思った。「おとうさん」より「パパ」や「ダダ」の方が言いやすいよね。「ちち」「はは」も短いか。『SPY×FAMILY』のアーニャじゃん。
幼少期のぼくは両親のことを「おとうさん・おかあさん」と呼んでいて、中学生のときだったかな、途中から「とうさん・かあさん」に移行したはず。最近は「名前 + さん」で呼ぶことも増えてきた。妹・弟と雑談する中で両親について言及するときは「名前」(呼び捨て)なこともしばしば。だんだんと「親」から「友人」っぽい位置付けに変わってきたのかも。