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というテーマで複数人でわいわいやる機会があって楽しかった。自分の考えたことをメモしていく。 前提になりそう 加害はよくない 他者の権利を侵害するのはよくない 明確な加害・権利侵害ではないが、よくないっぽいやつが迷惑と呼ばれていたりするのかな 迷惑の定義 ここではいったん「他者になんらかの影響を与え得ること」くらいの広めの定義を置いておこかな その影響が相手にとってネガティブなものだと迷惑とラベリン
2024-07-10現在、自分は日常的に誰かを攻撃しなきゃいけないような状況にはなくて、争いを好まない自分としてはラッキーだな、と感じている。 じゃあ、そんな自分が誰かを攻撃しなきゃいけないような状況ってのは、どんな状況だろうか、と考えてみたい。ここでいう「攻撃」ってのは、物理的な暴力のような攻撃もそうだし、誹謗中傷のような尊厳に対する攻撃も含むつもり。他者を肉体的でも精神的でも傷つけるような行為
From ノンクロンしよう:インドネシアのコレクティブ文化に見る、「分け合うこと」の連鎖と循環 - WORKSIGHT WORKSIGHT、インドネシア、ノンクロン、マジェリス、ルンブン 興味深いことに、ルアンルパのコレクティブ形成のプロセスは、上記のコレクティブの定義とは真逆である。すなわち、共通の目的や思想をもった人たちが集まってコレクティブを形成するのではなく、まずは目的もなく集まることから
Teacher Teacherのポッドキャストのエピソード53を聴いていて「自分はメタ認知がなんなのか、やっぱりよくわかっていない気がする」と感じたので、あらためて整理してみることにした。 まずは、エピソード中で参考文献として紹介されていた『最新の脳研究でわかった! 自律する子の育て方』をめくってみる。著者は工藤勇一さんと青砥瑞人さん。 メタ認知とは何か 教育の本質的な目標は自らの力で自分を成長さ
! コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことである。ぼくの対話におけるスタンスはそんな感じ。あるトピックについて「今のところ、自分はこういう意見だな」を事前に準備して持ち込むことはあっても、その意見への執着はあまり持っていないと思う。意見が変わる覚悟を持って臨む…というよりは、他にどんな意見が出てくるのか、それを受けて自分はどう
対話によって、成果物の質を高めたい 対話によって、成果物を生み出すプロセスの質を高めたい 以上が伝えたいことです。ここから先は余談みたいなもんです。 チームでなにかしらの成果を目指すとき、せっかくなら「いいもの」をつくりたいし「いいこと」をやりたいと思っています。成果物の質を高めたい。 成果物の質を高めたいなら「対話」を活用しない手はないでしょう。自分が考えた案にフィードバックをもらって改善したり
生活をやっていると、他者との関わりにおいて「なんか、今のイヤだったな〜」と感じることがあるだろう。自分の心身のそうしたシグナルを認識したときに、その先の展開にはいくつかパティーンがありそうだと思ったので、書き出して整理してみることにした。 なんかイヤ → 物理的暴力 現代社会では犯罪なので、デメリットが大きくて安易には選べないと思う なんかイヤ → 身体的発露 泣きわめいたり駄々をこねたり、不機嫌
あれもこれも対話を通して前進させられたらいいよね、とは思うものの。いつでもこのスタンスが通用するわけではないってこともわかっている。「こりゃあ対話を成立させるまでが一苦労だな」と感じてしまう状況ってのは現実に存在する。 特に、2022年から2023年にかけての地球において、ウクライナに向けて「対話による解決を」と言葉を放つのは厳しいことだと思う。 ウクライナの件を想ったとき、相手が略奪モードで迫っ
2023年度 東京大学学部入学式 祝辞 by 馬渕俊介のエピソードに触れて考えたことをメモしておく。 この医学的な解と社会的な解との折り合いをつけるために、文化人類学者と現地の宗教リーダー、コミュニティリーダー、それから感染症対策の専門家と共同で、これなら感染のリスクを無くしたうえで、人々が尊厳ある死を迎えられるという、「安全な尊厳ある埋葬」というやり方を開発しました。 整理すると、こういうことだ
きのくに子どもの村小学校・きのくに子どもの村中学校 かつやま子どもの村小学校・かつやま子どもの村中学校 南アルプス子どもの村小学校・南アルプス子どもの村中学校 北九州子どもの村小学校・北九州子どもの村中学校 ながさき東そのぎ子どもの村小学校・ながさき東そのぎ子どもの村中学校 きのくに国際高等専修学校 小学校での教育についてあれこれ調べていたら南アルプス子どもの村小学校のことを下記の動画で知った。
From 一つの「失言」で発言の場を奪われる…「キャンセルカルチャー」の危うい実態(ベンジャミン・クリッツァー) | 現代ビジネス | 講談社(1/6) ピンカーに対する公開書簡でも行われたような、著名人の過去の言動やSNSの投稿を掘りかえして批判を行い、本人に謝罪を求めたり地位や権威を剥奪するように本人の所属機関に要求したりするような振る舞いは、欧米では「キャンセル・カルチャー」と呼ばれて問題視
対話は、なにも妥協点を見つけることばかりが目的になるわけではない。各位が知見や発想を持ち寄って、まだ見ぬ「ベターな案」を見つけるつもりで始めてみるとどうだろう。もちろん、各位が尽力した果てに妥協点しか見つけられないことはある。それでも、最初から妥協点を見つけるつもりで取り組むよりは「最高の案を見つけようぜ」と始める方がよい案が見つかりやすいのではないか。 夢いっぱいの新機能の提案がきたときにまずは
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妻から「あなたの◯◯な言動は、どうしてなのか」というフィードバックがあって、それについて対話が発生した。
- その言動はなんなのか?と問われるも、無意識っぽい領域のことなので自分でもよくわからない
- 意識領域の話なら判断ロジックを説明できるし、ロジックを更新することもできる
- 無意識領域のことは扱いがむつかしいよねえ、簡単に「気をつけます」と言ったところで、まともに制御できる気がしないし
- お互いに粘り強く対話を続けていったら「こういうことかも…!」と発見に至って刺激的だった
- 妻とぼくは、対話に対してポジティブなところと、そのためにスキルを磨き続けているのが、よいところだと思う
bluerabbit777jpさんが純朴声活に言及してくれていたので、軽くお返事っぽいものを書く。
純朴声活はその時の気持ちや空気感を真空パックして未来で聴き直せたら幸せそうだよねみたいな空気感を感じる。
ウェブの記事やwikiをストックとフローに分類分けするとしたらストックの方が重要で残したいと思えるけど、純朴声活だとフローをその空気感や熱気を残しておく事に価値を感じる。これは音声コンテンツだからなのかなぁ。
まずは言及がありがたくて、どうもありがとうございます。感情をパッケージングできた最たる例が「終業式」の回で、ちょっと前にも自分で聴き返したりしているくらいには気に入っている。
(132) 小学校の終業式に参加してきたよ - 純朴声活 - LISTEN
「音声 = こういうことができる」とは思っていないのだけれど、自分が志向しているインディーウェブ的・音声配信は、こういうことをやりやすいメディアだと捉えている。文筆のスキルが高ければテキストでも感情をパッケージングできるのだろうが、自分を含む大多数の人間にとっては、音声収録の方がそのときの感情をパッケージングする難易度が低いと思う。声は勝手に震えてくれたりするし、言葉に詰まって間が空いたりもするからね。
あとは「他者の力を借りて自分の感情を引き出す」ができる対話形式を成立させやすいのも特徴。会話を始めた時点では見えていなかった地点に、会話をしていたら気付いたら立っていた。ってなことが起こるとうれしい。キマグレエフエムにnagayamaさんをお迎えした回では、そういうことが起きたんじゃないかと感じている。
【319】Ossan.fmにおける立ち位置 (ゲスト: nagayamaさん) - キマグレエフエム - LISTEN
テキストチャットでの対話でも実現できないことはないだろうけれど、音声の方がね、会話のパッケージングの難易度ははるかに低いでしょう。
起床して朝のお散歩へ。歩いているときに、妻との間で「快・不快」に関するコンフリクトがあって、帰宅後にそれについて30分間くらい話した。最初、妻は A がいいと言っていて、ぼくはBがいいと思って、両者の希望が一致しなかったのだけれど、そこから対話を続けていったらC案やD案が出てきて、最終的にEに着地した。いい対話であった。
対話によって上位目標を創り出すややわらかく衝突するを少しずつ実践できている感触があってうれしい。
『文化系トークラジオLife~社会時評&カルチャー』の「雑談、対話、口喧嘩……『人と話すこと』を考える」の回を聴いた。今回もおもしろかったなあ。自分もこういうおしゃべりをやってみたいが、そうなると相手が必要で、誰か相手を見つけることからやらなきゃか。そういう気分にさせられる、エネルギーのあるコンテンツであった。
予告編「雑談、対話、口喧嘩……『人と話すこと』を考える」2026年2月22日(日)25時~TBSラジオで生放送 | TBSラジオ
「中年男性の孤独」みたいなやつ、一大テーマとして成立し得るという現代日本社会の雰囲気はわかりつつ、やっぱり自分にはあてはまらない気はしていて、読み上げられる中年男性からのおたよりについても「へぇ、そういうのもあるのか」という気持ちになるばかり。自分はなんなんだろう。孤独は感じていない、友だちはたくさんいると言えると思う、自分の話をじゅうぶんに聞いてもらえている感覚がある、友人の話をたくさん聞かせてもらっているとも思う。雑談で困っていない、対話に困っている感覚もない、対人のストレスを抱えていない。ただのアルティメット・ラッキー・パーソンってことか??
トラブル回避の傾向が強いかもとは感じているので、やわらかく衝突するを増やしていきたいところ。
#43ワークショップじゃない場で、「対話」ってできるものなのか - パラレルワーカーの本音 - LISTEN
パラレルワーカーの本音の43を聴いた。テーマは対話で、ぼくの好みの領域。妻とぼくの間ではカジュアルに対話が成立しているよなあ、と感じていて、なぜ成立するのかを考えてみて、以下のふたつの要素があるからかな、と思った。
- 各位が、自分の現在地を知ることを受け入れている
- 各位が、よりよい自分に変わっていきたいと願っている
自分を理解すること・自分を変化させること、を望んでいなかったり抵抗があったりすると、そもそも対話のようなハイ・カロリーな行為をやりたくないだろうと思う。対話スキル云々の前に、やりたくないよね〜と思って。
瀬戸際夫婦のリコン前談義ってポッドキャスト番組があって楽しく聴いていて、こちらのご夫婦は「現状って、こうじゃん」「目指すのは、こうじゃん」をしっかり話せていて好感を持っている。誰しもがこういう態度を取れるわけではないと思っていて、こういう認知を阻むものとして「世間体」や「固定観念」などがあると思う。
ウェブログ
新幹線でなんか凄い臭いと思い、手元見たら足が置かれていてビックリした事がある。2時間耐えた→体験談が殺到、どう対処する? - Togetter
これは悩ましいな〜。いろんな対応パティーンを考えてみたら、いくつか気付きがあった
我彼の間に、自他の間に、絶望的な断絶を見出したとしても、そうであっても、そういう過程を経ることによって自分は変わるのだ、というそういう
/taizooo/対話について
今日の暮らし
ランチはスパゲッティ。冷たく仕上げたやつね。写真の左下に写っているのはたぶん指だね。いま気付いたね。
黒磯の家の玄関を出たところの草たち。春に草むしりしたんだけど、近いうちにまたやらないとダメそう…!
@june29: 夜ごはんを食べにきたはずだが…?
セレクティブ・エネミーがしんどいなあ、と思う。コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことであるとは対極にあるというか、自分の正しさを強調するために、意見を異にする集団の中からめちゃくちゃなことを言っている個体を選んでそれを叩く、みたいな。前進のためのやりとりではなく、その場に留まるためのやりあい、って感じなんだよなあ。
少しでもよい方向に進むために、投石よりも対話をやっていきたいと思う。
今日のウェブログ
バディがいると捗るのページをつくった。
情報の流通と体感距離のページをつくった。
情報が共有されなくなる悪循環のページをつくった。
知的コンバットのページをつくった。野中郁次郎が言うような文脈とは少し違うというか、今のぼくは「イノベーションを起こしたい!」というテンションでもないのだけれど、今年は対話が生み出す創発みたいなものに多く触れたいな〜と思った。コンバットしたい。なんだろう、ゼミみたいな場に参加するのがいいのかなあ。暮らしの方針2022には「知識より体験を」みたいなことを書いたけど、今の自分がやりたいのは対話かもしれない。自分ひとりでは考えないような領域に、他者とのインタラクションを通じて踏み込んでいきたい、ような。
そんなことを考えながら https://wagumi.xyz/ のDiscordサーバに参加した。
