コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことである

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created: 2020-03-20 / updated: 2021-11-12

鷲田清一先生は、コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことである、と述べている。日本におけるコミュニケーションの様相はそうではない。同調圧力に抗うのは「コミュ障」である。異論を唱えるのは「コミュ障」である。深夜に行われる討論番組で、参加者が番組の終わりに「おれ、意見を変えたよ」ということは起きない。彼らは議論をしているのではない。演説を繰り返しているだけなのである。だから、自説は一ミリも変わらない。

From 「感染症は実在しない」あとがき - 楽園はこちら側

非科学的な議論においては結論だけが一貫性を保つ。が、プリンシプルにおいてはグダグダである。というか、そもそもプリンシプルが存在しない。自分の主張を正当化することだけに汲々としているからであって、最初から科学に誠実であることを放棄しているのである。

「科学的失敗」とは、失敗の認知に失敗し、評価に失敗し、吟味に失敗し、改善に失敗し、未来の成功に資することないままに終わるような失敗を言う。これこそ本質的な失敗である。

プロの世界では、意見を述べただけでは混乱は起きない。意見を受け入れて方針転換するか、意見に反論するだけだ。

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対話の「やってよかった」を増やしたい
2024-06-01

! コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことである。ぼくの対話におけるスタンスはそんな感じ。あるトピックについて「今のところ、自分はこういう意見だな」を事前に準備して持ち込むことはあっても、その意見への執着はあまり持っていないと思う。意見が変わる覚悟を持って臨む…というよりは、他にどんな意見が出てくるのか、それを受けて自分はどう

超相対性理論の「想像力の暴走」シリーズのメモ
2023-03-01

超相対性理論の「想像力の暴走」のシリーズを聴いた。話し手は荒木博行さん、渡邉康太郎さん、にゲストの谷川嘉浩さん。今回もおもしろかった〜。 想像力のベクトルがあるのかも 少なくとも2方向ありそう? 変化: 想像力をはたらかせることによって、自身の認知を更新していく 固定: 想像力をはたらかせることによって、自身の認知を強化していく コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持ってい

論破よりもかっこいいこと
2021-11-08

「論破はかっこいい」という雰囲気があると思う。 ただ、この雰囲気が強くなりすぎると時と場所を選ばずにむやみやたらと論破しようとする人間が増えそうで、それはぼくにとっては望ましくない未来につながりそうで最近は少し心配している。 論破というのは、競技ディベートのように「これは勝ち負けを決めるゲームです」と各位の認識があっているときにバチーンとキマればかっこいいと思う。フリースタイルバトルで鮮やかに決ま

キャンセル・カルチャー
2020-08-18

From 一つの「失言」で発言の場を奪われる…「キャンセルカルチャー」の危うい実態(ベンジャミン・クリッツァー) | 現代ビジネス | 講談社(1/6) ピンカーに対する公開書簡でも行われたような、著名人の過去の言動やSNSの投稿を掘りかえして批判を行い、本人に謝罪を求めたり地位や権威を剥奪するように本人の所属機関に要求したりするような振る舞いは、欧米では「キャンセル・カルチャー」と呼ばれて問題視

Strong Opinions, Weakly Held
2020-07-24

From 心理的安全ジャーニーSlackで安全を実装する5つの手法 - Speaker Deck の207枚目を見て知った From Strong Opinions, Weakly Held— a framework for thinking | by Ameet Ranadive | Medium Paul L. Saffoが言ったことっぽいな? 「強い意見を弱く持つ」のよさそう。自分はこう

臨場性が必要とされる理由
2020-05-31

人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医) がおもしろかった。そこで述べられている「臨場性が必要とされる理由」を中心に引用してメモしておく。 人と人が出会うこと。その場に居合わせること。ライブであること。face-to-faceで話すこと。これらをさしあたり「臨場性」と呼ぼう。私がコロナ禍の渦中で目をこらしてきたのは、こうした「臨場性」の価値のゆくえについて、であった。 臨場性という概念の導入。

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In 2026-05-19 Tue Read full day →

インサイドビジョンの安斎勇樹さんゲスト回、めちゃおもしろかった。高木新平さんの鋭い問いによって場に緊張が生じる瞬間がすごい。けんすうさん回でも同種のおもしろさを感じた。台本のない対話の記録。スポーツの試合を観ているような感覚になる。コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことであるを思い起こす。

安斎勇樹さんには「これ、うちのメンバーも見るんだよなあ」という経営者視点がずっとあったと思うので、まっすぐに「これはほんとうのことだ!」と思えるほど自分は無邪気ではないが、少なくとも、ほんとうのことに迫ろうとする両者の態度があったと感じる。そこが刺激的だった。

寝る前に、寝床でスマートフォンの画面でこの動画を観て。ビデオ・ポッドキャストってこういうことか、という気分になった。応酬する言葉が鋭くなっていったときの人々の表情は、見たくなるし、目が離せなくなるなあ。逆に、表情が気になるくらいの会話をしていないのであれば、映像なんてなくていいということでもあるのかも。そんな発見もあった。

In 2023-01-22 Sun Read full day →

TAKRAM RADIOのVol.166を聴いた。前回に続いて近内悠太さんがゲスト。抽象度の高い会話がおもしろかった。

https://open.spotify.com/episode/7ijOIEvMsOpGHUqoxp2B43

最近の自分は「自己の輪郭が脅かされること」を期待してさまざまな取捨選択を行っているかもなあ、と思った。コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことであるでいうところの「自分が変わる」ね。おそらくぼくは、自分に変化が生じることを望んでいる。引っ越しを選ぶのもそれだね。妻との会話が楽しいのもここにつながる。今年で40歳になるから「不惑かあ」と思ったりもするけれど、まだまだ迷子になっていきたいくらいの気持ち。

In 2022-07-20 Wed Read full day →

今日の暮らし

ランチはスパゲッティ。冷たく仕上げたやつね。写真の左下に写っているのはたぶん指だね。いま気付いたね。

黒磯の家の玄関を出たところの草たち。春に草むしりしたんだけど、近いうちにまたやらないとダメそう…!

@june29: 夜ごはんを食べにきたはずだが…?

セレクティブ・エネミーがしんどいなあ、と思う。コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことであるとは対極にあるというか、自分の正しさを強調するために、意見を異にする集団の中からめちゃくちゃなことを言っている個体を選んでそれを叩く、みたいな。前進のためのやりとりではなく、その場に留まるためのやりあい、って感じなんだよなあ。

少しでもよい方向に進むために、投石よりも対話をやっていきたいと思う。

In 2020-05-21 Thu Read full day →

今日のあれこれ

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