セレクティブ・エネミー

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created: 2018-08-30 / updated: 2018-08-30

2018-08-30 文献

「世界のすみ分けが露骨にネット上で可視化されている」荻上チキ氏に聞く 分断するネット社会のいま

この状態を説明するために、私は「セレクティブ・エネミー」という言葉を使っています。

社会心理学にはもともと、セレクティブ・メモリーという言葉があります。それは、人は記憶を自分に都合のいいような形で収集することができ、評価するというような意味です。例えば、リベラルの人は、保守系の人たちの言説を見ても、自分たちの意見は揺るがない。むしろ、自分たちの側に都合のいい情報をどんどん集めていき、その結果、人々のクラスター化が起きる。

でもいまは、その中で相互に引用されるような人たちが出てきている。それが「選択できる敵」、セレクティブ・エネミーです。要は、対立する勢力の中から、とんでもない発言を部分的にシェアして論じている。そのようなことをおこなう論壇がそれぞれのクラスター単位でできていると。

だから、保守系の人たちは、反保守派の中でも過激な活動だけを取り上げますし、リベラル派も、保守の中で極端なことを言っている人を取り上げる。実際に検索してみると、極端なことを言ったりやったりする人は確かにいるんですが、少数派です。そうしたものをピックアップして攻撃し、それぞれのコミュニケーションを評価していくということがあるわけですね。

意図的に弱いやつを見つけてきて叩く、という感じか。

「弱いものいじめ」というと、学校の学級や職場のような特定小集団の中で相対的な弱者を対象にマウントを取る、というような行為を指してきたように思うのだけれど、今はクラウド時代になって、いつでも適当に弱者を調達してこれるようになったのだなあ。

そういうことが簡単にできるような社会である、という認識を強く持っていないと、無自覚にそういった行動に飲み込まれてしまいそう。

Mentioned in topics

批判はいつから「悪口」になったか? by 小野ほりでい
2023-03-15

From 批判はいつから「悪口」になったか?|小野ほりでい|note 小野ほりでいさんのエッセイ。好きなので「資本主義ゾンビ」を購読して読んでいる。 2017年、今井絵理子参議院議員が都議選に向けて「批判なき政治」というスローガンを掲げた際、批判という言葉の中から「思想や見解、構想、システムに対する改善案」という建設的な側面が消えつつある事実が衆目のもとに晒されることになった。 ともかく批判という

政治の話をやめて、猫や犬の画像でも見ましょう by 小野ほりでい
2020-12-14

From 政治の話をやめて、猫や犬の画像でも見ましょう|小野ほりでい|note by 小野ほりでいさん この一件は、要するに「センシティブな問題で炎上したくなければセンシティブな問題に触れなければいい」という最悪の最適解が、特別な条件が揃ってたまたま露呈したのに他ならないのだ。 とどのつまり「弱者の存在を厳密にポリティカリーに表現せよ」という要求は、最終的には「弱者の存在に言及するな、見ないように

行動、属性、信頼
2020-04-09

ある個人や組織の「行動」を評価するときに、対象の「属性」や過去の行動の結果の蓄積からくる「信頼」は加味する要素になっていそう。そして「行動そのもの」と「属性」「信頼」にそれぞれどれだけ重きを置くかってのは評価者によって異なり、思想の違いが表れていそう。 このあたりを見ていて考えたのだった。 これは党派性のもたらすもので、現政権や官僚がやることは全部否定、あるいは肯定、という論理のもとではそうなるの

セレクティブ・エネミーと栄養失調
2018-10-31

2018-09-19 エッセイ セレクティブ・エネミーというのは便利な言葉で、おかげでぼくの考えもいくらか前に進んだように思う。 ---- ぼくは意識して自分が接続する情報チャンネルを選び、維持してきたつもりだったけれど、最近はウェブを中心に情報を摂取していてもワイドショー的なコンテンツが多く流れてくるようになってしまい、精神衛生のために情報チャンネルのメンテナンスをしなきゃな、と思わされる最近。

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In 2022-07-20 Wed Read full day →

今日の暮らし

ランチはスパゲッティ。冷たく仕上げたやつね。写真の左下に写っているのはたぶん指だね。いま気付いたね。

黒磯の家の玄関を出たところの草たち。春に草むしりしたんだけど、近いうちにまたやらないとダメそう…!

@june29: 夜ごはんを食べにきたはずだが…?

セレクティブ・エネミーがしんどいなあ、と思う。コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことであるとは対極にあるというか、自分の正しさを強調するために、意見を異にする集団の中からめちゃくちゃなことを言っている個体を選んでそれを叩く、みたいな。前進のためのやりとりではなく、その場に留まるためのやりあい、って感じなんだよなあ。

少しでもよい方向に進むために、投石よりも対話をやっていきたいと思う。

In 2020-06-07 Sun Read full day →

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