Mentioned in topics
ぼくが赴く現場はだいたいソフトウェアを扱っていて、さまざまな意思決定の記録がデジタルデータで残されている。現場に入っていくとき、まずは「どんな記録がどれくらいありそうか」の全体像を可能な範囲で把握するようにして、そこから「ここは特に重要そう」とあたりをつけて順番に目を通していく。 こういうとき、ウェブベースのツールだとハイパーリンクを便利に使える。たとえばGitHubのIssueとか、Slackに
2020-05-05に書き始めた。 noteがFacebookやTwitterにならないためには、と考えてみた - quipped を読んでいたら、 今ぼくのタイムラインに流れてくる人は、note「を」書いている。note「で」書いているのではなくて、note「を」書いているのだ。 そんな言葉のあや、揚げ足取りじゃないか、と思うかもしれない。でもnoteがwhatであるかhowであるかは、note
Mentioned in days
yuta25さんが「これはjuneさんが好きそう」と共有してくれて『本の惑星』の土門蘭さん・今野良介さんゲスト回を聴いた。こんなの好きじゃん。土門蘭さんの書籍『ほんとうのことを書く練習』について内沼晋太郎さんがゲストと話す。
なぜいま「ほんとうのこと」なのか - 本の惑星 - LISTEN
yuta25さんとぼくはAuthenticityに興味があるという共通点があり、こうしてコンテンツの共有を受けてうれしい気持ちなのであった。教えてくれてありがとう。
- 「書く自分」と「読む自分」の話、めちゃよかったな〜
- ぼくにおいては「書く自分」と「読む自分」の仲は極めて良好だと思う
- 『13歳からのアート思考』のことを思い出したりもしたな、他者視点によって行動が阻害されるやつ
- 共感じゃなくて理解をゴールにする、の話もよかった
- これは碇雪恵さんの『そいつはほんとに敵なのか』に接続したくなるテーマ
- 過去に自分が書いた共感、理解、尊重の円とも照らし合わせて考えてみる
- 近年の日本語圏、ちょっと「共感」ってやつを高く評価しすぎじゃない?とぼくは思っている
- 他者の存在を強く感じる場所でほんとうのことをやっていくのは、かなりむつかしいと思う
tokurikiさんがnote社でぜんぜんうまくいっていなかった、って話を書いていた。なるほど。うまくいった話は多く語られるけれど、うまくいっていない話は相対的に語りが少ないと感じるから、こういう共有はうれしいな〜。「そろそろ時効だから」という書き出しになっているところを見るに、まだまだ書きづらいものではあるのかもしれないけれど。
ただでも、日々の雑談にエネルギーを得ていた人間だったのが、コロナ禍でほとんど雑談もなくなり、正直鬱に近い状態だったと振り返ってます。
実はnoteに入社して1年ぐらいは、全く仕事が上手くいってなかったのを今のリーダーが救ってくれた話|徳力基彦(tokuriki)
地球温暖化問題を環境・経済・社会の視点からふんわり概説します|五味馨|note
- 2019-09-27の日記にメモした地球温暖化問題のお話がnoteにまとめられていたので「よかった〜」と思った
- 元がツイート 50連投だったので、ひとつの記事にまとまって「よかった〜」と思ったのであった
- でも落ち着いて考えてみると、本当にツイートより記事の方がいいのか?という点に確信が持てないと気付いた
- ひとつのスレッドになっているのだから、パーマリンクという意味では最初のツイートのURLがあれば十分
- 50個のツイートに分かれているとこで「特にこの文章が好き」を示すのもやりやすいのでは?
- 「ある程度の長さの文章は、記事としてまとまっているとよい」というのは固定観念かも?
- Twitterがスレッドをうまく表示できなかった時代の感覚の名残か…?