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無理なくやれることは自分でやる 「自分のことは自分でやるべき」といったべき論ではなく、どちらかというとセルフ・ケアな意味合い 自分のことを自分でやれていると自己効力感が高まるのでお得だと思う 困っている人がいたら、無理のない範囲で手を差し伸べる これはあきらめたくないんだよな 持ちつ持たれつは、前向きにやる なんでも自分で完結させるより、頼ったり頼られたりして関係性を育てる方が人生が豊かになる気が
松谷創一郎さんの会見を視聴した。知らなかったことをたくさん知れたのでありがたい。2023-07-11から3日間くらいかけてじっくり視聴した。松谷創一郎さんのことは、これ以前には知らなかった。もしかしたら記事を読んだことくらいはあったかもしれない。 文化社会学、社会情報学 記者会見とのことだけれど学会発表のような雰囲気で進んでいて、ぼくにとっては見やすい・聞きやすい内容だった。ラップトップを開いて資
@nco0707: 『彼氏に手料理を作りたくない彼女』(1/3) 自分は配偶者に対しての「◯◯をしてほしい」という欲求が、もっといえば「わたしのために◯◯をしてほしい」という欲求がぜんぜんないっぽくて、もうちょっとあった方がいいのか…?と思ったこともあるくらいだった。 まず小さなスコープから考えてみると。「料理をしてほしい」と思うか。これは完全にNoだな。やりたい人がやればいい、としか思っていない
株式会社Antway https://antway.co.jp/ のミッションとして掲げられているフレーズ。 あらゆる家庭から義務をなくす Antwayは「機会の平等」をめざします。 キャリアの機会、趣味の機会、家族とやすらぐ機会など。 本来たくさんの機会が、わたしたちの周りにあります。 いま目の前にあるのは、機会を活かしきれない現実です。 仕事をしたいのに、家族と過ごしたいのに、課せられた「義務
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自分には「親孝行」な感覚がないかもな〜と、ふと思ったり。「家族サービス」という発想がない、と近い話かもしれない。考えてみると、自分は内発的動機を大切にするあまり、相対的に外発的動機を軽視しがちなのかも。両親に会いたいから会いに行っている、家族といっしょに過ごしたいからいっしょに過ごしている、とオーガニックな欲求に任せて生きているから「親孝行のために両親に会いにいく」という意思決定の回路がすごく弱そう。
でも、ぼくの内発的動機だよりのスタイルでたとえば3年に1回しか会いに行かないとして、それとは別に「親は大事にするもんだから」「盆暮れ正月は顔を見せるもんでしょ」とべき論で駆動される人がいたとして、ぼくよりも頻繁に会いに行くなら、そっちの方が望ましい言動に近付くってことは大いにありそう。
ぼくがイヤなのは「せっかく会いにきたのに」とか「サービスしてやっているのに」と恩着せがましく押し付けがましくなるパターンだな。そうならないのであれば、なにによって駆動されているかなんて別になんでもいいのかも。
午前、妻と気まずい雰囲気になった時間帯があり、そのあと感想戦をやってみたら気付きがいくつかあっておもしろかった。じっくりと妻の話を聞いてみると、どうやら家庭内において「引け目」を感じているらしい。引け目の話は今回が初というわけではないが、今日のような形で顕在化したのは珍しいパターンだったように思う。家庭に限らず過去に所属していた組織においても、引け目だったり「居場所がない感じ」だったりを感じてきたようだ。
ぼくの勝手な願望として「引け目を感じてほしくない」があるものの、感じてしまうものは仕方がないよなあ。感じずに済むように、長い時間をかけてそういう場をつくって維持していくしかないように思う。現在、ぼくは世帯主係を担当させてもらっているが、それは松本の家に引っ越すにあたって手続きを進めたのがぼくだったからそうしておくのがスムーズであった、が理由。たまたまそういう係をやっている。人間として妻とぼくがいるときに、どっちが主でどっちが従ということはない。だからぼくは「主人」「旦那」「亭主」みたいなラベルで呼ばれることを好まない。ただの夫。そういう気持ちで過ごしているので、チーム内の誰かが引け目を感じる現実があるとしたら悲しいことだ。
ぼくがどれだけフラットなつもりで妻と接していても、妻とぼくとが出会う前に各位に蓄積された体験に差がある以上、関係性の認知が完全にフラットになるわけじゃない、ってことはわかってきた。たとえば、嫌味なんて言われることなく20年を生きてきた人と、嫌味を言われ続けて20年を生きてきた人が出会って、共同生活を送ることになったとして。交わす言葉が文字列レベルでは同じだったとしても、受け取り方に差が出てしまうことは想像がつく。「健康な男性」として下駄を履かせてもらって生きてきた自分と「小柄な女性」というだけで幾多のなめられを経験してきた妻との間にも、きっとそういった勾配が存在しているのだろう。
そんなぼくらの間にフラットな関係を望むのであれば、ぼくが「フラット」であるだけでは不十分で、逆の傾きを持たせるくらいのことが必要なのかもしれない。これはアファーマティブ・アクションと呼べる?ってなことをちょっと前に純朴声活でも話した。まだまだ考え中のトピック。社会的なべき論というよりは、とにかく妻が引け目を感じずに済むようにしたいって話。
TAKRAM RADIOの鈴木陽介さん出演回を拝聴した。とってもおもしろかった。声を出して笑っちゃう瞬間が何度もあったなあ。森の中のエロ本の話は特によかった。次回も楽しみ。
鈴木陽介さんのことは存じ上げなかったので、ゼロから調べている。『万引き家族』のポスター写真を撮った人が、餃子屋さんも経営しているのだなあ。魅力的な人だな、と感じた。ぼくも魅力的な人間になりたい。
ウェブを練り歩いていると、ときどき、うっかり「夫に対する愚痴」系のコンテンツを見かけてしまうことがある。基本的には、ネガティブな内容が渦巻く薄暗い通りは歩かないようにしているものの、たぶん「夫に対する愚痴」系のコンテンツってけっこう人気というか、需要があるんですよね?だから、たまたま視界に入ってしまうことがある。ほんで、見かけるたびに被弾しちゃうところがあって、勝手に落ち込んだりする。「うちの夫は◯◯ができない」「◯◯をやらない」的なやつ、できないことがたくさんある自分はウッとなってしまう。幸い、我が家は誰がなにをできなくてもオッケーという雰囲気で運営できているので命拾いしている。「誰かがなにかをできない」って状況で、それが責められてしまうのはぼくにはつらいんだよな〜。
完全メシDELIのカツ丼をあたためて夜ごはんとしていただいた。これ、栄養バランスがいいって本当ですか…?
Netflixで『三体』のドラマを観始めた。今日はためしに第1話を観て、えっ、おもろいやんけ…となったので明日からも続きを観ていくと思う!
Scaniverseのウェブサイト、ナビゲーションとしてカタカナの「ブログ」があるのすごく変な感じがする。
https://scaniverse.com
Project MYの作業をひとつ片付けて、Teacher Teacherのことをワッショイして、また別のプロジェクトで確認してお返事しなきゃいけないやつがあったから確認を進めて、って感じの夜を過ごした。体力と精神力の余裕があったので純朴声活を録って公開してからお布団に入団する。おやすみなさい。
今日の暮らし
朝のお散歩のときに撮った写真。このまま木々の中に入っていこうと思ったんだけど、大きな蜘蛛の巣が張られているようだったのであきらめて引き返す。
竹風でランチ。記録によれば2021-12-29以来だから半年以上ぶりか。開店時刻が11:30で、ぼくらが着いたのが11:34で、すでに空席待ちの人々が発生していた。人気のお店じゃん。
炙りチャーシューのまぜそばをいただいた。具材もタレも麺もおいしかったなあ。竹風の麺はおいしい。また食べたい。
台風が近づいてきているのであんまりうろちょろしないぞ、という日。竹風からの帰り道の途中で大和屋にだけ寄ってみることにした。大和屋はシェレンバウムの近くにあって、黒磯から南の方に行くときにはよく通る場所にある。何度も何度も見かけてはいて、そのうち入ってみようと思っていたのだった。
お茶のような雰囲気で提供されたカフェラテ。妻はカフェモカを。おいし〜い。
店内も素敵でおもしろかったなあ。とても満足して、なんでもっと早くに入ってみなかったんだろう、となる。よくあるやつ。
天空メロンに挑戦しているらしい。
天空メロン (天空のメロン?) は福島市で生み出されたっぽいな。それをちょっと南の黒磯のあたりでもやってみようとしているってことかな。
https://www.youtube.com/watch?v=R71FfaZAIWo妻と話していて、自分は「個人」や「自由」に重きを置く価値観だよなあ、と何度も自覚する。ぼくには、個人が「家庭における役割」みたいな枠に押し込められるのはよくないことに思える。やりたくてやるのはいいけど、義務やべき論に強制されてなにかをやることには反対の立場。まず、個人としての妻やぼくがいて、それぞれのやりたいことが尊重されて、次に、家庭としてどういうカタチをつくっていくのかを対話を通して見つけていく、という順番で考えがち。
