多くの人が使うようになった結果、扱いがむつかしくなった言葉たち
- メタ認知
- 心理的安全性
- 技術的負債
- 老害
- リスキリング
- 「個人が自分の意思で学ぶ」と「組織が業務として進める」のどっちの話もあって混乱する
- 1on1
- 「ふたりでしゃべるアクティビティ」くらいに意味が希薄化しているように思う
あくまで主観で「むつかしくなったと感じている」ということ。ぼくが誰かと大事な会話をするときには、これらの言葉を使わずに、そのときの状況によりマッチする、誤解の余地の小さい言葉を選ぶようにしている。
あくまで主観で「むつかしくなったと感じている」ということ。ぼくが誰かと大事な会話をするときには、これらの言葉を使わずに、そのときの状況によりマッチする、誤解の余地の小さい言葉を選ぶようにしている。
2024-06-29に開催されたえにしテック15周年記念カンファレンスに参加してきたので、前後の体験も含めた参加記録を記しておきます。 えにしテックは技術コミュニティの縁からスタートしました。 その原点に立ち返り、札幌でカンファレンスを開催いたします。 えにしテック15周年記念カンファレンス | Peatix えにしテック15周年記念カンファレンスの終了後、別会場にてアフターパーティーをご用意いた
Semantic Diffusion 意味の希薄化が発生するのは、個人やグループが作った用語があり、適切に定義されていたにもかかわらず、歪められた定義がコミュニティに広まったときです。 これにより、用語の定義が完全に失われる危険性があります。 また、それに伴い、用語の利便性も失われてしまうでしょう。 Martin Fowlerさんは2006年にすでにこういうことを書いていたのか〜〜。感服。 /ka
人間たちをなんらかの軸をもってして空間上にマッピングしたとして。 「空間上のこのあたりにいる人の特性を◯◯と呼びます」が広まると。 ちょっと離れたところにいる人々も「あ、自分これかも」となって、現実がそっちに吸い寄せられるようなことがけっこうあると思う。「そうかも」と思うことで、実態がそっちに近付いていってしまう。 上記の例では「人間」「特性」を扱ったけれども、人間に限った話ではなくて、あらゆる事
メタ認知は1970年代に広まった概念で、メタ認知という用語はFlavell (1976) において初めて用いられた。 「メタ認知とは認知過程及びその関連事物(情報やデータなど)に関する自分自身の知識をさす。例えば、私がAよりもBの方が学習が困難であると気づいたとしたり、あるいはCが事実であると認める前にそれについて再確認しようと思いついたとしたら、それはメタ認知を行っているということだ。」—J.
メタ認知のページをつくった。
多くの人が使うようになった結果、扱いがむつかしくなった言葉たちのページをつくった。