わかりやすさに抗って
先日の日記より。
作業の締めに「時刻合わせ」が行われた。そのときはたしか14:40だったかな。時と分の「時」から合わせていく。ぼくは「時は14だな」と思いながら見守っていたら、業者さんが「2」で確定したのでぼくはエッッとなった。さてはこの時計、午前と午後を区別しないタイプか…?
2025-01-27 Mon : GQuuuuuuX#6799cd85ebff160000e1b157
今朝、入浴していた8:13頃にたまたま給湯器の時計表示を見たら「20:13」となっていて、午前・午後の区別あったじゃん!となった。時刻設定モードにして「時」を12時間ずらしておいた。給湯器は午前と午後を区別していて、あの業者さんが区別していないだけだった。
そういやきのうの朝、印象的な夢を見たんだった。きのうの日記に書き忘れたのでここに書く。でも内容は忘れちゃったな…なんだっけ、家 (もしくはなにかしらの建物) の鍵を紛失してしまって、そのへんをうろうろしていて、いろいろと起きてドタバタコメディ…みたいな夢だっけ?だれか覚えている人いる?
りっちゃ・りょかちのやいやいラジオの263で「簡単にわかられたくない」的な話があり、自分にも思うところがあった。生活していて、自分の体験や考えを話したときに「わかる」と言われたときに「あんまりわかっていないだろうな」と感じることはちょいちょいあるし「そんなに簡単にわかってたまるか」と思うこともなくはない。相手が悪いとかそういうことを言うつもりはなくて、相槌として「わかる」と発語するスタイルがあることは知っているし、それが「理解度100% です」を意味しないことも知っている。
あるいは受け手として。わかりやすさが役に立つシーンは多いものの、この世界にはわかりにくいものもたくさんあるわけで、わかりにくいものへの耐性が失われると人生の難易度が上がっちゃうよな〜と思う。わかりやすく、短く、単純なものばかり選んで食べていると噛む力が弱っちゃう、そういう捉え方。