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「生き抜く」世の中ではなく「生き合う」世の中を目指す
2023-09-17

朝日新聞ポッドキャスト『ニュースの現場から』を聴いていて、とある教員に興味を持った。 当時は大阪市立木川南小学校の校長を担当されていた久保敬さんの2021-05-17付の文書が朝日新聞デジタルに今も掲載されていたので読んできた。 「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。 大阪市立木川南小学校・久保校長の「提言」全文:朝日新聞デジタル 「生き合う世の中」ってのは力強いフレー

関係論的なアプローチ
2023-05-21

〈弱いロボット〉に学ぶ。デバイスが不完全であることの豊かさ - なるモ 「ゴミ箱ロボットなのに、自分でゴミを拾えない」「お話ロボットなのに、あらすじを忘れてしまう」……このように、自分だけでは本来の役割を達成することができない〈弱いロボット〉が注目を集めています。 研究・開発しているのは、豊橋技術科学大学の岡田美智男教授らの研究グループ(ICD-LAB)。これまでの〈弱いロボット〉を通して人々から

自分の選択の結果
2022-08-13

いつだったか「三十路も過ぎると、自分の身に起こることはだいたい自分の選択の結果」的な言説を見かけたことがあった。たしか自分が30歳くらいのときに見かけたんだったかな。そのときは「そうかもなあ」と思ったのだった。 それから10年くらいが経って、2019年度 東京大学学部入学式 祝辞 by 上野千鶴子を読んだりもして、 あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環

固定化された格差の上にあぐらをかく
2020-07-06

自分がそういう状態になっていたら怖いな、どうしたらいいんだろう、というお話。 20代のころのぼくは今よりももっと調子に乗っていたと思う。37歳の今も大なり小なり調子に乗っているとは思うけれど、20代のそれはもっと過激なものであっただろう。今となってはそう思う。 他人に対して自己責任という言葉を振り回したりはしなかったけれど、自分に対して「いま、自分が持っているものは、自分の努力の結果として得られた

精神論型メリトクラシー
2020-04-10

From 疫病は精神論を侵すか|小野ほりでい|note 私の理解では、日本社会の全体的な雰囲気は「精神論型メリトクラシー」である。メリトクラシー<実力社会、成果主義>は本来(機会としての)不平等をなくすための概念であり、「努力したり結果を出した人間はそれ相応の報いを受けて然るべきだ」という発想に根ざしている。しかし、このシステムが各国で導入され、実情が判明するにつれ、メリトクラシーはむしろ批判的な

Mentioned in days

In 2024-01-25 Thu Read full day →

昨晩から今朝にかけてグッと冷え込んで、自宅のまわりの景色からも色濃く「冬」を感じていた。下の写真は、めずらしい形のつららを見かけて撮ったもの。このあと氷を足でつっついてみたらボロッとはがれてすべて水の中に落ちておもしろかった。

西の山々にも白い静寂が訪れていた。

とあるシステムの挙動を説明するにあたってキテレツ大百科の天狗の抜け穴をたとえに使ってみたらうまく伝わったようでよかった。キテレツ大百科のアニメを観ていて天狗の抜け穴が使われたら、そのあとだいたいトラブルにつながる印象。

スケボーに乗っている亀の動画が好きすぎる。最初に𝕏で見かけて、そのあとYouTubeでも見かけたんだったかな。なんとなく、勝手に「亀はゆっくり動く自分を受け入れている」と思い込んでいたかもしれない。スイスイと動く亀の様子を見て抱いた印象は「たのしそう〜」だった。亀も素早く動きたいのかも。テクノロジによる身体の拡張という感じがしてワクワクする。

https://www.youtube.com/watch?v=b-8-einSqt8

『ニュースの現場から』の迷惑をかけるな憲法のお話がおもしろかった。しかし、顔色を伺わせる社会になっているんだとしたら本当にうれしくない…と思った。自己責任・自助の雰囲気がさらに強まる未来を回避するには、どうすれば…?

竹端寛さんの『ケアしケアされ、生きていく』にヒントがあったりするのかな、ちょっと気になっている。

In 2022-11-19 Sat Read full day →

今日のウェブログ

超相対性理論の「弱さを探索する」の一連を聴いた。おもしろかった〜。絶望派のトークが出てきたときは笑っちゃったな。

「強い・弱い」には複数の軸があるってのはぼくもそう思っていて、ある人のある特性が、状況によって「強さ」にも「弱さ」にもなりうると思っている。たとえば「握力が強い」くらいのシンプルな話であれば、ひとつの数直線上に各個人の握力の数値を並べて「この人は強い」「この人は弱い」を論じることはむつかしくないだろう。けれども、現実世界で言及される対象はそんなにシンプルじゃない。複雑だ。

「仕事のできない人」ってラベリングが好きじゃなくて、これが「仕事のできる人」というポジティブな文脈で使われるラベリングだとしてもやっぱり苦手。仕事というものがひとつの数直線を描けるようにシンプルであると誤解を助長させる物言いだと思っている。ある人は、ある仕事においては能力を活かして活躍できるけれど、別の仕事においてはうまくいかない、そんなマッチングがあるだけだと思っている。おおいに環境の問題を含むのに、すべての責任を個人に求めるような「仕事のできない人」というラベリングが怖い。

同様に「つよつよ / よわよわ」という形容にも抵抗感がある。人間を対象になにかしらのラベルを貼り付けることに慎重でありたいのかもしれない。家族や友人との雑談でこのような物言いをするときは自分にもあるが、社会的に、慎重になった方がいい行為だと自分は捉えていそうだ。自己責任論に直結しそうなのが怖いのかな〜。

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