自分の気持ちも大事にね
ここ3ヶ月間くらいかな、macOS用のWindow Managerをあれこれ試してきたんだけど、そんなに高機能なものはいらなくて、すべてのウィンドウをきっちり敷き詰めて使いたいわけでもないってことがわかり、かつて使っていたDivvyに出戻りした形。「いま、このウィンドウとこのウィンドウをピッと配置したい」と思うときがちょこちょこあるくらいだから、そのときにキーボード・ショートカットでDivvyを起動して「ここに配置!」ってやれたらオッケー。ゆるくやっていく。
「簡単組み立て3ステップ!」と謳われている商品のレビュー欄に「2ステップで完成、とても簡単で楽でした」と書かれているものがあってよかった。ステップ削減に成功している?
微妙にダウナーな日で15:33に「な〜んにも、やりたくない!」という声が脳内で鳴ったのだけれど、そう叫んだら気が済んだのか、そのあとは作業に手がつくようになったのでおもしろ体験だった。やる気が出ないときに、無理に「やる、やるよ、やるんだよ〜〜」とポジティブな声を出さなくても、いっそ「やりたくない!!!」と言っちゃった方がいいパティーンもあるのかも。チームでの作業だと周囲の士気を下げるリスクもあるかもだけど、個人の作業については試しに吐き出してみるのはアリだね。
今日も妻の不調は続いていて、そういうモードで過ごす我が家です。弱気になっている妻が「こんなふうに出かけられずに過ごすの、じゅんさんはイヤだよね…?」と問われて、ちょっと考えてから「そうだね、イヤだね」と答えた。誰にでもこういう受け答えをするわけではないけれど、妻とぼくの間は対話が成立する感触があるので、イヤなものはイヤと言っておいた方が家庭にとってグッドと思ったので言うことにした。
ここでのメッセージングの分類を考えてみる。
(A)「出かけれないのはイヤ! お前のせいだ〜〜」
(B)「出かけられないのはイヤだよ、でもあなたを責めるつもりはないよ」
(C)「ぜんぜんイヤじゃないよ〜」
「出かけられないのがイヤかどうか」と「誰かを責めるかどうか」を別々に扱えるといいな、と思った。ずっと家にいると気が滅入ってきちゃう、ってのはぼくの性質の話。妻の不調によって出かけられなくなったとしても、たまに調子を崩すのは生物として仕方のないことでそれについてどうこう言うつもりは一切ない。今回のことは「雨が続いていてぜんぜん出かけられなくてイヤになっちゃう」と同じくらいのこと。空を恨むような話じゃない。
社会を眺めたり種々の情報を見聞きしたりしていると、けっこう (C) を選ぶ人が多いんだな〜という印象がある。相手を責めたくないから「イヤ」と言わない、という選択。それによって自分の気持ちが後回しになる。自分の気持ちも相手の気持ちも、どっちも大事にできるといいよね、と思う。
ご自由にお取りください、虚無を。
ウェブ上でたまにお見かけして「よさげな暮らしだな〜」と思っていた家庭、那須に住んでいるみたい。那須っぽい雰囲気によってぼくも惹かれていたのかもしれないね。那須はいいもんな。
それからやっと上手く行き始めて、1年半ほどで今後一生の金銭的不安がない状態になり妻も退職、都内にいる必要もなくなり全国から最も自分達に合っていそうな那須という土地を見つけて移住しました。
https://x.com/kurashikake/status/1959443154257719707
会話の要約
Plaud NotePinで録音したものをPlaudで要約し、そこから一部を抜粋。
2階だとゴミ(通信障害)がつながりにくいという話題。
これはSSIDをうまく解釈できていなくて「ゴミ」という書き起こしになっている 😂マミが木・金・土・日とずっと寝ていた(倒れていた)こと、体調不良の話。