Mentioned in topics
@dora_e_m: すごく個人的な気になりでは有るんだけど、「そうあってほしいこと」に「期待値」と名付けるのは違和感あるんですよね。確率論のそれと違う使われ方をしてるから。 言われてみれば、たしかになあ。統計なんかをやっている人からすると、そっちの「期待値」の意味を先に思い浮かべるよね。「成功の方程式」みたいに言われるときの「方程式」もそうだけど、数学の概念を拡大解釈してビジネスやコミュニケーシ
妻とふたりで家庭を運営していて、自分はとにかく「期待値を高くしない」ようにやっていると感じる。 妻が一切の家事をやらないケースを想定しても、ぼくは「一人暮らしのときと近い状態になるだけ」と捉えていて、もっとこうしてほしい、とか、これをやってくれなきゃ困る、とか、そんなふうに思ったことはない気がする。 ベース 一人暮らしのときと同等 相手がなにかしてくれたら 一人暮らしのときよりハッピーになる なの
って書くとOvercooked! 2やTools Up!を想像するかもしれないけれど! ぼくは生活の中のあれやこれやを「協力してタスクを完了させるゲーム」と捉えているかもしれない そう思ったので今の気持ちを書き記しておく たとえば「飲食店に行って、食事を済ます」みたいなよくあるシチュエーション ぼくはとにかく「食事を済ます」を達成して店を出たいと思っている なので「店員さんとぼくで協力して、なるべ
Mentioned in days
日本語圏のビジネスパーソンが「期待」の話をするときに、しばしば「期待値」というフレーズを持ち出すようになっているな〜と感じるようになって数年間。以前にコミュニケーション文脈での「期待値」というページをつくったこともあった。
でも「人間を確率モデルとみなして話しているんです」という前提の思考があるのだとしたら、期待値という言葉の持ち出しも納まりがよくなると気が付いた。まあ、ほとんどの場合においてそのような前提はないか。