Mentioned in topics
ってのを意識的にやるようにしている。特にここのScrapboxで日記を書くようになってからは、小さなことでもカジュアルに書いて公開状態にしておくことが増えたと思う。 たとえば、下記のようなものがある。 同僚を家族とは思っていない 「わがまま」について考えたこと 定型句コミュニケーションに対する苦手意識 また、自分から生じた考え方ではなくても、どこかで見聞きした考え方をメモとしてScrapboxに記
自分自身も、文字やら音声やら動画やらでなにかしらのコンテンツを生成してはそれを公開していて、フィードバックをもらえると本当にうれしいな〜と思う。励みになる。そう思うんだったら自分もどんどんフィードバックをやっていった方がいいな、と年末年始2021→2022を過ごしながら思ったので2022年は意識して取り組んでいく。 ここ数年の自分のTwitter運用は「毒にも薬にもならないようなことをつぶやく」と
自分の人生には、なるべくブラックリストを持ちたくないと考えている。人生観として、 好きなものは多ければ多いほどよい 嫌いなものは少なければ少ないほどよい という考えがあり、好きなものを積極的に増やしていく姿勢があるとともに、可能な限り「嫌いなもの」「タブー」「NG」の類をリスト化したくない。なにかしらの対象について自分の中で「◯◯は嫌い」と明確に言葉にするのを避けがち。それが言霊になって、◯◯とい
これまで生きてきた期間にもらったものが大きすぎて多すぎて、自分が生まれてきたことでこの世界のリソースは減ってしまったのではないか。たぶん20代中盤から、ずっとこの感覚が拭えずにいる。 だからせめて、なにかを返せるタイミングではせっせと返していきたくて、自分が役に立てそうなことがあれば無理のない範囲で首をつっこんでいく。というのを繰り返しながら生きている感じ。 自分がもらってしまった分と、自分がなに
ぼくの人生観のひとつと言えそう 完全に体現できているわけじゃない 「これ、後輩にもやらせたいか?」と考えたときにNoになることは、だいたいやるべきじゃないこと なので、この視点は忘れないようにしている
ぼくの人生観のひとつと言えそう まわりからみて「それは大変ですね」「大変でしたね」となるようなことは、誰しも多かれ少なかれあると思う そういう大変なことを掲げてそれを自分のアイデンティティにする、ってのは自分としてはナシってことにしている 配偶者がどうとか、職場がどうとか、そういう愚痴で目立つ人になりたい気持ちがない 「いつも楽しそうにしている人」と見られるような人生にしたいので、そこを目指す上で
Mentioned in days
非日常
今日、社の人が「自分が生きている間にこんな体験をするとは、と9年ぶりにまた思った」的なことを言っていて、たしかになあ、といろいろと思いを巡らせた。
東日本大震災のとき、自分は東京都内に住んでいて、自分自身の生活というスコープで見ると数日間でもとに戻ったんだっけな。そろそろ詳細は思い出せなくなってきている。激しく被災した地域の人々は今もなお復興の道の途中にいるとして、ぼくはほとんど被害を受けなかったから、生活への影響はそんなに大きくなかったんだよな、たしか。ただ、震災後に引っ越したり転職したり起業したりする人は身近に何人もいて、価値観や人生観への影響は大きかったように思う。
今回の新型コロナウィルスは、生活への影響がけっこうある。新型コロナウィルスの感染拡大に備えた全社的在宅勤務体制が発令になってから、もう丸2ヶ月ほどこれまでと違う生活をしている。こういうことが、今後も10年に1回くらいはあると思って生きていくとよいのかもしれない。