雨音のリズム
2025-05-20の日記に下記の通りに書いたものの、そのあとさっそく、くるみの頭の振り直しナシで自宅の車庫に入れることに成功した。さらなる適応だ。
なんだけど、もう慣れてきた。頭は1回だけ振り直せば大丈夫だわ。
注文してあったGENTOSエアダスターが届いた。ハンディなサイズで気に入った。けっこう強い風が出る。キーボードにたまったホコリなんかを吹き飛ばすのに使うつもり。
1階のルータに長いLANケーブルを差して2階の妻の部屋まで伸ばしていって、妻の作業用のネットワークを構築した。あわせて、パソコンなどなどの機器を配置してケーブルもつないで一通りセットアップした。いろんな種類のケーブルがあると、妻はなにがなんだかわからなくなっちゃうみたい。
無事に妻の部屋でもこれまで通りの作業ができるようになった。よかったよかった。
この作業を終えてリビングに戻って妻と話していて「(荷解きについて)わたしの分は終わったわ!あとはじゅんのものだね。このへんのダンボール、明日にでも片付けておいて〜」的なことを言われたときに、ぼくが少しムッとしてしまったのがおもしろかった。妻と対話しながらムッとした要因を追っていく。
たしかに残りのダンボール箱はだいたいぼくが対応しなきゃいけないものなのだけれど、それは、家庭の共用部のこととか、それこそ妻の作業部屋のセットアップを優先して取り組んだからそうなっているわけで、そうして残った分について片付けを急かすようなことを言われたのがイヤだったみたい。作業量を負担に感じているわけではなくて、進行のペースを指示されたように感じたのがイヤだったんだろうな。おもしろい会話だった。
PLAUD
お茶の種類(カシスブルーベリー紅茶、抹茶、黒豆玄米茶)についての話や、「お茶が飲めなくなるのと世界が消えるのどっちがいい?」という極端な冗談、「お茶過激派」という表現も登場する。
小説家や詩人、歴史ある文学作品からの引用(ドストエフスキーの小説の一節、向田邦子、夏目漱石、宮沢賢治、紀貫之、北原白秋など)を通して、お茶や生き方、哲学的な視点が展開される。「ティックナットハン」の詩や東洋思想、仏教の話題も出て、「今この瞬間を大切にする」という哲学的な考え方が語られる。昨日「めっちゃ暑かった」という話題から、今日は急に寒く感じる体感の変化について語られている。実際に「寒い」と感じて羽織るかどうか迷うやり取りや、一度家に戻って羽織ることを検討する場面もあった。
晴れた道を歩いている最中にも、急な気温の変化や雨雲の出現についてのコメントがあり、「雨が降りそう」「黒い雲が出てきた」などの発言があった。
服の重要性や体感温度の違いについても、「服って偉大だね」「服を着ることで体感温度が全然違う」といった意見交換がなされている。また、ホモサピエンスだけが服を着るという話題も出ている。「火曜日」に立てたプルリクエストの番号(1983と1986)の話題が出て、仲間とのやり取りや、その数字に込められた意味(生まれ年)について軽くエモーショナルなエピソードが共有された。Slackでのやり取りや、後から意味に気づく「あは体験」についても語られている。
会話全体を通して、何気ない日常のちょっとした発見や感動、そして相手への軽い茶化しや冗談が多く見られる。「察しが悪いと何もわからない」「誰もそんなに興味ないよ」などの発言があった。
天候、家の片付け、楽しみの計画、日記の書き方といったテーマが自然に絡み合い、夫婦ならではのリラックスした雑談の雰囲気が感じられる。
また、駅までのアクセスや自転車での移動の楽さ、昨日帰宅時のエモーショナルな気持ち、雨が降りそうな空模様など、日常の細やかな感情や出来事も語られている。
ページ
- 自分たちの番がやってきたんだな、という気分のページをつくった
- 魚人にとっての海のような場所というページをつくろうとしてオンラインで満たされている感覚という既存のページに書きたいことは書いてあると気付いた
- 「やっぱりリアルで会うのが大事」みたいな感覚、自分にはないんだよな〜
- 会えば楽しいのだけれど、日々、ウェブを通じてゆるくつながれているだけでもかなり楽しめている
ウェブログ
通りがかりの私に人助けをさせてくれてありがとう。
とある友人の限定公開の文章にこんなことが書いてあって、ぼくもこういう感覚を持って暮らしていきたいと思った。