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In 2022-10-12 Wed
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このことからも明らかであるように、プレゼントの例だけでなく、スポーツでも、はたまたアートでも、感動を創造する主体は送り手ではなく、実は受け手なのです。これらは感動をもたらす原因にはなりますが、だからといって、感動という結果を保証するものではありません。スポーツでも、「感動」というのは、アスリートのパフォーマンスと、それを見る人たちの感受性が結びつくことで、はじめて生まれるものなのです。それゆえ、アスリートやスポーツの担い手が、あたかも一人で生み出しているかのように、「感動を与える」などと発言することに違和感が生じるのでしょう。
町田樹「スポーツにおける感動の意味」NHK解説委員室しかしながら、こと現代においては明らかに、「スポーツの力」や「感動を与える」という言葉が、残念ながら濫用されている印象があります。
町田樹「スポーツにおける感動の意味」NHK解説委員室
町田樹さんによるスポーツと感動の話。「受け手」が主体ってのは、本当にそうだよな〜と感じた。ぼくも、自分の内発的動機に意識を向けて、受け手のことは考えすぎずにいい意味で自分勝手な送り手として活動していきたいと思う。
超相対性理論の「美とは何か」のシリーズをここ数日内に聴いていて、ここでも「美しさ」「芸術」と受け手の話があった。スポーツにしても芸術にしても、同様の構造は観測できそう。
